旅 瀬戸内(たびせと)

平家谷 横倉地区(シリーズ平家物語を歩く旅) GoogleMap
       
    通盛神社   
       
横倉地区 平家谷 花しょうぶ園・つばき園
  横倉(よこくら)−平家谷(へいけだに)
平通盛(たいらのみちもり)−清盛の甥(おい)ーが屋島の合戦(1185)に敗れた後、局や一族が落ちのびた里と伝えられる。
この地には通盛神社・赤旗(あかはた)神社・貴船(きぶね)神社・湯舟神社などが残されている。
馬の鞍が横に傾いたために横倉、鐙(あぶみ)を落した鐙峠、御方(おかた)の前、的場、弓場などの地名があり、鏃(やじり)・箙(えびら)・古鏡などの遺品も現存している。
この谷では、平家の旗印の赤を尊ぶ風習があり、古くから白いものを嫌った。
通盛に蛭(ひる)が吸いついた時「落人(おちうど)となれば、汝(なんじ)まで我をあなどるか」と蛭を取り捨てた。以来この地の蛭は今も人の血を吸わないという。
昭和59年4月 沼隈町観光協会
(現地案内板より)

この地区が平家の落人の部落であることを示唆する主な地名
弓場 的場 館 広場 一本松 喜勢 平家さんの井戸 鐙峠 見張り所 乗越 貴船神社 湯舟神社、黒血山など多数。(地域内に案内板あり)
この地の地名、横倉の名は、馬の鞍が傾くほどけわしい谷であったことからきたといわれている。
 
     
       
福泉坊 赤幡神社 八日谷ダム
八日谷ダム
横倉へ入る少し手前にあるダム。
通盛が屋島の合戦から落ち延びたころにはもちろんこのダムもなく、急峻な谷であった。
落ちのびる途中、この谷に8日泊まったことから、八日谷の名がついたといわれている。
このダムの底には、通盛が己の武運を試そうと刀を打ち立てたといわれる刀岩が沈んでいる。

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