旅 瀬戸内(たびせと)

源平合戦水島古戦場(シリーズ平家物語を歩く旅) GoogleMap
       
    玉島(源平)大橋から柏島を望む  
     
  源平合戦水島古戦場の石碑    乙島から玉島大橋・柏島方面   
  源平合戦水島古戦場
祇園精舎の鐘の音諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色盛者必衰の理を現はす・・・ この美文で始まる平家物語はその巻の八に及んでわが水島合戦の章に至る。
水島の門(と)を隔てて相向う柏島には平家方、乙島には、木曽義仲の客将率いる源氏方が陣取り、時将に寿永2年(1183)閏10月1日壮烈な海上戦となって、源氏方が惨敗海の藻屑と化した。
空には日蝕が現われ西風の強い日であった。
平家は水島のいくさに勝ちてこそ会稽(かいけい)の恥をば雪(きよ)めけれ。
この文で物語りはこの章を結んでいる。
はじめてのこの勝ちいくさが平家を上洛の望みに誘い、その後の一ノ谷、屋島、壇の浦と一路平家滅亡への転機となったこの合戦であった。
今は波静かな玉島湾頭、我らが源平大橋と愛称するハイウェイの大橋がここに夢の翼を拡げている。
合戦後800年を記念してここにこの標柱を建立したわが郷土の歴史へ思いを馳せ又つわもの共が「鎮魂」のよすがともしたいためである。
          昭和58年11月20日
(現地案内板より) 
良寛さんでよく知られている玉島円通寺のそばにある国民宿舎「良寛荘」から南の瀬戸内海方面を眺めると玉島湾に橋が架かっているのが見える。
これは水島工業地帯と玉島を結ぶ水玉ブリッジラインで橋の西詰めに、上記の「源平合戦水島古戦場」と書かれた碑とその案内がある。
湾の左岸が源氏方の陣の置かれた乙島、右岸が平家方の陣の置かれた柏島である。
これら島の周囲は、江戸時代から昭和にかけて埋め立てられ、玉島市街にまた工業地帯やその住宅地となり、今は源平合戦の頃の面影を見ることはできない。
碑の建てられている所も車がひっきりなしに行き交う水玉ブリッジライン脇で、歴史に強い興味のある方以外のゆったりとした観光が主目的で来られた方々は、円通寺や良寛荘から往時を偲ぶ方が良いかも。
 
   
       
乙島(柏島より) 円通寺・玉島市街方面(玉島大橋より) 玉島湾口・瀬戸内海方面(玉島大橋より)
乙島(柏島より)
玉島大橋の東側の乙島には源平水島合戦の際の源氏方の陣が、西の柏島には平家方の陣が構えられた。
乙島・瀬戸内海方面(良寛荘付近より) 「源平合戦水島古戦場」碑付近の祠 源平合戦水島古戦場下の駐車場
「源平合戦水島古戦場の石碑」は、水玉ブリッジラインの横にあるが、ブリッジライン沿いには駐車場が無いので、ブリッジライン下の駐車場に車を置いて階段を上がって行くのが良い。

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