旅 瀬戸内(たびせと)    福岡城跡 GoogleMap    
   
   
  福岡城跡 福岡城ー潮見櫓・下之橋御門跡   福岡城 天守台跡   
  福岡城跡
関ヶ原の戦い(1600年)の功績で徳川家康から与えられた福岡藩の初代藩主黒田長政と共に黒田官兵衛が築いた城。
敵が攻めにくい構造となっており、築城の名手加藤清正からも高い評価を受けている。
現在は、石垣と一部の櫓、門、塀などが残り、桜の名所として、市民の憩いの場となっている。
現代の福岡城図  江戸時代の福岡城図 
福岡城花の見所
  下之橋御門跡
城内への門は、堀に架かる3つの橋、上之橋・下之橋・追廻橋にそれぞれあり、このうち下之橋を渡って入る門がここ下之橋御門ー下の橋大手門ー。
現在の門は文化2(1805)年に建てられたが、明治時代に上層部を失い、長く一層のままであった。
平成12(2000)年に不審火によって被災、同20年に二層櫓門として復原。
(現地案内板) 
  福岡城 天守台跡
天守台跡からは、福岡市内360度全方向のパノラマを楽しむことができる。
天守閣が存在していたとしたら、そこからはより一層素晴しい眺めが得られたはず。
天守閣の有無については議論されているが、仮に存在したとすると、天守台の基礎や石垣の規模から5層の大天守閣が建っていたと推定され、東側に小天守が建ち並ぶ52万石の大藩にふさわしい威容を誇ったに違いない。
(現地案内板を参考) 
 
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      福岡城北方 パノラマー福岡城天守台よりー       
         
   福岡城 上之橋御門跡    福岡城 内堀    鴻臚館跡  
  福岡城 上之橋御門跡
鴻臚館跡埋蔵調査地区、鴻臚館跡展示施設経由福岡城東御門跡方面への入り口。
 
  福岡城 内堀
かっての福岡城内堀。
現在は、福岡城跡である舞鶴公園と福岡市街との間にあり、都市に落ち着いた空間と潤いを与えている。
 
  国指定史跡 鴻臚館跡 TEL092-721-0282
福岡市中央区城内1
飛鳥・奈良・平安時代におけるわが国の外交施設であり、平安時代には福岡(筑紫)、大阪(難波)、京都(平安京)の3ヶ所に置かれていた。
奈良〜平安時代の初めのころまでは、中国や新羅からの外交使節をもてなしたり、わが国からの遣新羅使や遣唐使、留学生の宿泊地として利用された。
平安時代半ばからは、外国からの商人が往来する交易の拠点施設となり、後の中世都市博多が生まれる先駆的な役割を果たした。
開館時間:9:00〜17:00(入館は16:30まで)
入館料:無料
休館日:12月29日〜1月3日
交通:地下鉄「赤坂駅」または西鉄バス「平和台鴻臚館前」下車
 
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   福岡城 東御門跡    福岡城 扇坂跡    福岡城 二の丸跡  
  東御門跡
「東御門跡」は、「三の丸」と「二の丸」をつなぐ門でここから二の丸、本丸、天守台へと城内を登っていくメインルート。
三の丸には藩主を支える家老職の屋敷群があった。
(現地案内板) 
  福岡城 扇坂跡
「東二の丸」と「二の丸」をつなぐ通路。
  福岡城 二の丸跡
福岡城の二の丸は、大きく「二の丸」、「東二の丸」、「南二の丸」に分かれていた。
現在は運動場「ラグビー場」になっている北側まで石垣があって、「二の丸御殿」が建っていた。
その南側は貯水池となる「水の手」。
「東二の丸」から扇坂を抜けると、現在は梅の名所として知られる「二の丸」へつ続く。
 
 
         
   福岡城 表御門跡    福岡城 祈念櫓   福岡城 本丸跡   
  福岡城 本丸(表御門跡・祈念櫓)
二の丸から表御門跡を抜けると福岡城の中枢である本丸となる。
表御門は大正7(1918)年に、黒田家の菩提寺である崇福寺(博多区千代)に移築され、現在まで同寺の山門として使用されている。
また、本丸の東北方向(鬼門)の角には、祈念櫓がある。
これは鬼門封じの祈念をするために建立されたもので、棟札によると万延元(1860)年3月に起工、同年10月に竣工したものである。
(現地案内板) 
  福岡城 祈念櫓
祈念櫓は本丸の北東隅に鬼門封じのために建立された二層の櫓で、棟札によって現在の建物は、万延元(1860)年3月に起工し、同年10月に竣工したことが判明している。
その後、大正7(1918)年には本市内にある黒田家菩提寺の崇福寺が陸軍省から払い下げをうけ、その末寺である北九州市八幡東区の大正寺の境内に観音堂として移築された。
その際の棟札によると大正9年に竣工している。
さらに昭和58(1983)年から翌年にかけて再び福岡城の現在の位置に再移築がなされた。
(現地案内板) 
  福岡城 本丸跡
本丸は、藩主が政務を行うとともに、住居としても使われた「本丸御殿」があり、天守台へと続く福岡城の中心部。
天守台への入口となる「鉄御門跡」が、その先には埋門跡がある。
(現地案内板) 
 
         
   福岡城 鉄御門跡    福岡城 埋門跡   福岡城 松の木坂   
  福岡城 鉄御門跡
天守台への入口となる「鉄御門跡」が残っているが、要衝の門にふさわしく、敵の侵入を防ぐため幅が狭くなっている。
高く積まれた石垣の上に櫓や塀が張り巡らされ、上から攻撃できるようになっていた。
(現地案内板)
  福岡城 埋門跡
鉄御門跡の先には埋門跡があり、やはり狭い門となっている。
(現地案内板) 
  福岡城 松の木坂
三の丸から二の丸、本丸へと続く坂。
二の丸への入口には、松の木坂門跡がまた、本丸への入口には裏御門跡がある。
 
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   福岡城 裏御門跡    福岡城 天守台西側    福岡城 多門櫓  
  福岡城 裏御門跡
福岡城の中枢である本丸への入口の一つ、裏御門跡。
ここから本丸へ抜けた先には、藩主が政務を行うとともに、住居としても使われた「本丸御殿」が建ってた。
(現地案内板)
  福岡城 天守台西側 
枝垂桜の並木道
  福岡城 三の丸(多門櫓・石垣)
福岡城はその別名として、舞鶴城のほか「石城」とも呼ばれる。
これは、黒田二十四騎の一人で築城時に石垣普請奉行をつとめた野口佐助一成が石積みの名人であって、加藤清正をも唸らせた出来栄えであったことに由来する。
石城の名にふさわしく福岡城跡の各所に見事な石垣が残っているが、なかでも三の丸から多門櫓を見上げる景観は印象深く、高く緻密に積みあげられた石垣と櫓の白壁の組み合わせが城郭建築の美を存分に楽しませてくれる。
(現地案内板) 
 
         
   福岡城 水の手御門跡   福岡城 水の手御門から水の手へ    福岡城 つつじ園   
           
   福岡城 名島門    福岡城 三の丸跡    
  福岡城 名島門(なじまもん)
天正15(1587)年、小早川隆景が多々良川口の名島の陵端に築いた名島城の脇門で、慶長年間(1596〜1614)黒田長政が居城を名島城から福岡城に移すとき、黒田二十四騎の一人である林掃部(はやしかもん)にさげ渡され、邸宅の門として使用されていたもので、「名島ひけ」と呼ばれた名島城の数少ない遺構の一つ。
(現地案内板)
  福岡城 三の丸跡
福岡城の三の丸は、福岡藩の家老など主だった藩士の屋敷があった所で、現在は、舞鶴公園の西公園、御鷹屋敷跡、現在の平和台陸上競技場、鴻臚館跡調査地(平和台球場跡地)などとなっている。
     
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