旅 瀬戸内(たびせと)

福原京と源平一の谷合戦古戦場(平家物語ゆかりの地を歩く旅)
     
     須磨寺  
     
   須磨浦公園より神戸方面を望む   須磨離宮公園  
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福原京と源平一の谷合戦古戦場
福原京と大輪田の泊

平安時代末期、平家一門が日宋貿易の港である大輪田泊を見晴らす福原の地を領有し、ここに多くの邸宅を構えた。
治承4(1180)年、政権の強化を図った平清盛が孫の安徳天皇を奉じて都造りをはかったのが「福原遷都」である。
しかし都造りは中途で頓挫、半年で平安京に還都したため実態としての都は完成しなかった。
「平家物語」などには、平清盛が福原の地にいくつかの邸宅を持っていたことを伝えている。
そのひとつが「雪見御所」で、その名を伝える雪見御所町に所在した可能性が高い。
         
  生田神社   福原京跡    大輪田の泊とその周辺  
源平一の谷合戦
木曽義仲に京の都を追われ、安徳天皇を奉じて九州、大宰府へ逃げ延びていた平家は、体制を立て直して屋島に本拠地を構えると共に須磨、一の谷に陣を築き都の奪還を図っていた。
寿永3年2月7日、後白河法皇から平家追討の命を受けた源義経は、鵯越(ひよどりごえ)の坂落(さかおとし)で良く知られている一の谷の合戦の火蓋を切るのである。
この美しい須磨の地には、謡曲「敦盛」で知られる須磨寺、安徳天皇内裏跡伝説地、戦いの浜、熊谷次郎直実によって首を討たれた平敦盛の冥福を祈って建立されたとする敦盛塚などがあり、秘めた歴史を今に伝えている。
須磨・一の谷周辺 鵯越(ひよどりごえ)付近
須磨・一の谷周辺
須磨浦公園付近の海岸は源平一の谷合戦の戦場となったことから、「源平史跡 戦いの浜」をはじめ熊谷次郎直実によって首を討たれた平敦盛の冥福を祈って建立されたとする敦盛塚、安徳帝内裏跡伝説地など源平一の谷合戦にまつわる多くの史跡がある。
鵯越(ひよどりごえ)
鵯越は、わずか70騎で10万の平家を敗走させる、「鵯越(ひよどりごえ)の坂落し」と呼ばれる戦いが行われた所としてよく知られているがその場所については、諸説がある。
その一つとして、神戸市の中に鵯越と呼ばれる地区があるが具体的にはどの場所を指すのだろうか?
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