旅 瀬戸内(たびせと)

円覚寺 GoogleMap
   
     円覚寺 三門  
     
  円覚寺 参道      円覚寺 仏殿  
  円覚寺
当山は、臨済宗円覚寺派の大本山にして弘安5年(1282)の開創、開山は中国(宋)より渡来の仏光国師無学祖元、開基は鎌倉幕府の執権北条時宗公、国師は時宗公の熱心な招請に接し弘安2年来朝、初め建長寺に住し時宗公はじめ鎌倉の武将を教化し多くの門弟を育てた。
時宗公は弘安4年再度の蒙古の襲来を撃滅した後、翌5年正法を興隆し師恩に報じ、また文永・弘安の両役に戦死した敵味方両軍の菩提を弔うために当山を建立した。
国師の流派を世に仏光派と称し、弟子に仏国国師、孫弟子に無窓国師が出て、室町時代には、国師の法孫は天下に満ち、五山の学僧の主流となった。
江戸時代やや衰微していたが、江戸末期に中興誠拙禅師が出、明治に至って今北洪川、釈宗演の二大禅師出世され、再び関東禅界の中心となり、禅風を門外に宣揚した。
三門
天明年間、中興の誠拙禅師が再建、「円覚興聖禅寺」は伏見天皇の勅額。
仏殿
大光明宝殿ともいう。大正12年の大地震で倒壊後、昭和39年3月再建、唐様禅宗様式の鉄筋コンクリート造り、本尊は宝冠釈迦如来、禅宗様式七堂伽藍の中心の建物で奈良の古寺の金堂にあたる。
方丈(ほうじょう)
禅林の住持の居間をいう。維摩居士の居室が方一丈であったことに由る。
今は主に檀信徒教化の場に用いられる。
昭和4年竣工
国宝 舎利殿(しゃりでん)
源実朝公が宋国より拝請した仏牙舎利を奉安したお堂。
弘安8年(1285)北条貞時公が創建、日本に残る唐様建造物の中、最も代表的な美しい建物。
開山堂
舎利殿の背後にあり、開山国師の木像を奉安す。
木像及び須弥壇は重要文化財。
開基廟
仏日庵境内にあり、開基北条時宗公の尊像を安置す。
北条家歴代の祠堂でもある。
白鹿洞(はくろくどう)
当時落成慶讃の日国師の法話を聞くためこの洞中から一群の白鹿が現われたという。
この奇瑞により山号を瑞鹿山と号することになった。
居士林
禅を志す在家の人の座禅道場。
もと牛込にあった柳生流の剣道の道場であったものを昭和3年に寄進され移築した。
国宝洪鐘
正安3年、北条貞時が2,500人の善男善女、当山250人の僧衆の合力により鋳造。
巨大なること関東第一、江の島の弁天の助力により鋳造が円成したとして、側の弁天堂にその尊像を祀る。
                                    円覚寺
(現地案内版)                                                      円覚寺境内配置図  
 
     
   
  円覚寺 境内ー龍隠庵よりー   
         
  円覚寺 方丈    妙香池   開基廟  
  方丈(ほうじょう)
禅林の住持の居間をいう。維摩居士の居室が方一丈であったことに由る。
今は主に檀信徒教化の場に用いられる。
昭和4年竣工
開山堂
舎利殿の背後にあり、開山国師の木像を奉安す。
木像及び須弥壇は重要文化財。
 
         
  如意庵    白鹿洞   続燈庵   
  白鹿洞(はくろくどう)
当時落成慶讃の日国師の法話を聞くためこの洞中から一群の白鹿が現われたという。
この奇瑞により山号を瑞鹿山と号することになった。
    
 
           
   黄梅院    舎利殿(昭堂)   居士林   
  居士林
禅を志す在家の人の座禅道場。
もと牛込にあった柳生流の剣道の道場であったものを昭和3年に寄進され移築した。
    
 
           
   選仏場    龍隠庵   松嶺院   
           
   弁財天堂・洪鐘        
  国宝洪鐘
正安3年、北条貞時が2,500人の善男善女、当山250人の僧衆の合力により鋳造。
巨大なること関東第一、江の島の弁天の助力により鋳造が円成したとして、側の弁天堂にその尊像を祀る。
    
 

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