旅 瀬戸内(たびせと)

敦盛塚石造五輪塔(あつもりづかせきぞうごりんとう) GoogleMap
       
    そば処 敦盛そば  
       
  敦盛塚石造五輪塔     
  神戸市指定有形文化財 敦盛塚石造五輪塔 総高 397cm 製作年代 室町時代末期〜桃山時代 指定年月日 平成9年10月23日
この五輪塔は花崗岩製の総高4m近い堂々たるもので、中世の五輪塔としては石清水八幡宮五輪塔(京都府八幡市)に次ぎ、全国で2位の規模を誇る。
法量は総高397cm、2石から成る地輪(ちりん)は幅126cm、高さ98.5cm、水輪(すいりん)は最大径130.4cm、高さ99cmで下部がすぼまり、火輪(かりん)は軒幅126.4x119cm、高さ75.8cm(上面に径30cm、深さ20cmの?穴(ほぞあな))、風(ふう)、空輪(くうりん)は一石彫成で、風輪の径73cm、高さ56cm、空輪の最大径69cm、高さ72.9cm。
各輪四方にそれぞれ五輪塔四門の梵字(ぼんじ)を薬研彫(やけんぼ)りに配している。
紀年銘はなく、梵字が大きいことや水輪や火輪の様式にやや古調がみられるが、風・空輪は明らかに近世塔の先駆的様式を示していることから、室町時代末期から桃山時代にかけての製作と思われる。
この付近は源平一の谷合戦場として知られ、寿永3年(1184)2月7日に、当時16歳の平敦盛が、熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)によって首を討たれ、それを供養するためにこの塔を建立したという伝承から、”敦盛塚”と呼ばれるようになった。
このほか、鎌倉幕府の執権、北条貞時が平家一門の冥福を祈って、弘安年間(1278〜1288)に造立したなどの諸説がある。
昭和60年(1985)4月に、神戸市教育委員会が周辺整備のための発掘調査を行ったところ、下半部が埋没した地輪の下に、四角に囲った板石とその中に2枚の石から成る基壇遺構があることがわかった。
このため、基壇の上部を地表に現し、地輪部以上を完全に露出するように積み直した。
    平成11年3月
   神戸市教育委員会
(現地案内板より) 
 
           

Home 兵庫県瀬戸内沿岸地域・諸島の旅へ 平家物語(源平)ゆかりの地を歩くへ 福原京と源平一の谷合戦古戦場へ 須磨・一の谷周辺へ