旅 瀬戸内(たびせと)

       
      有子山城跡ー山名氏城跡ー    
             
       
       
       
   有子山城跡     有子山城跡  
  有子山城跡ー山名氏城跡ー
城史
この城は、天正2(1574)年、それまで山名氏の本城であった此隅山城にかわって、山名祐豊により築城された。
その名は落城した「子盗」(此隅)の名を嫌って「有子」と命名したという。
しかし、わずか6年後の天正8(1580)年天下統一をねらう織田軍によって城は陥落。
城主は因幡に出奔した。
その後城は、織田系の城主の管理となるが、江戸時代に入り、ふもとに出石城が築城され、有子山城は廃城となった。
山名氏
山名氏は、室町幕府において侍所(さむらいどころ)の長官に任ぜられる最も有力な大名の一人で、明徳(めいとく)の乱、応仁(おうにん)の乱の中心勢力として関与した。
但馬は南北朝の初期以来山名氏の根拠地であり、南北朝期後半以降戦国期まで一貫して山名氏が守護の地位にあった。
この山名氏の本国但馬における中世末期の本城が有子山城である。
現状
標高321mの有子山山頂に、主郭とその西方に6段のくるわが階段状に続き、また主郭の東南に千畳敷と呼ばれるくるわがある。
石垣の残りはよく、中世の城郭が、近世の城郭に移行するまでの、過渡期の形態をよく残している。
(現地案内板)
                                          有子山城跡
 
             

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